リバーサルフィルムが好きです

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お題:この1年の変化

お題「#この1年の変化」

 

もう1年くらいブログ書いていませんでした。なぜって、書きたいことがなかったからです。今まで普通にできたことが急に(ある意味理不尽に)何もできなくなって、人に会えない寂しさと、気晴らしができない苛立ちと、リモートワークが辛すぎて成果が出せない自分に腹が立つなど、正直言って、いいと思えることなんてありませんでした。

 

という意見が、目立たないのはなんでなんでしょうか。

リモートワークもめちゃくちゃ持ち上げられているけれど、リモートワークじゃ適応できなくて鬱っぽくなっちゃうよー、という声はあまり歓迎されないのはなんでなんでしょうか。

コロナがある生活に適応できるのが正義で、適応できない私はダメな人間なのでしょうか。

ちなみに誤解なきよう申し上げると、適応できない、とは対応しないのとは別です。個人的には、旅行にも行ってないし都会もほぼ行ってませんし帰省もしていません。

 

 

私など、独身で近所に肉親もいないので、割と本当にひとりです。いつも仲良くしてくれている同僚男性(独身)を、混雑していない店でご飯を食べるとか、オンライン飲み会に付き合わせて、なんとかしのいできました。付き合ってる訳でもないのにこの1年で最も一緒の時間を過ごしました。彼がいなければ鬱になっていたかもしれないくらいお世話になりました。多分、あっちも「一人でご飯食べるよりいいし」くらいで付き合ってくれていたと思います。彼もまた、一人はきらいじゃないけれど本当に一人ではいられない人間なのだと思います。

 

この1年で私は、ヒトとは、人間らしさとは何なんだろうかな、と考えていました。オンラインでも一部の仕事はできるし、セミナーはできるし、アイドルのライブも見られる。オンラインでよければ、遠くの友達とも話せるし海外の人と喋るのも気軽になったように思い増す。物理的距離はあまり関係なくなりました。

でも、もうひとつの物理的距離、人の表情の機微を目の前で判断できる、人に触れられるということ、人と握手ができること、という物理的距離は非常にハードルの高いものとなりました。

今はコロナでそうなっているけれど、そういえば、なんとなくだけれど未来系アニメなどでは、人間は本当に家族単位とかで暮らしていて、少し関係の遠い人は画面の向こうにいるような描写が多いようなイメージがあります。

 

ひとの表情の機微、一緒にいるときの空気感(よくも悪くも)を肌で感じられなくなったら、それって人間、ヒト、生物なんでしょうか。私にはよくわかりません。ネットがなければ通信技術が無ければ、コロナ禍で病む人はもっと多かったのかもしれないけれど、全部がデジタル技術で済む訳でもなく。私はもうちょっと、人っぽくくっさい世界に生きていたいんだよなぁ。。。

 

世の中の流れは止められない。きっと、世の中はそっちに向かって進化してゆく。

そのなかで私は、たとえば10年後20年後、どうやっていきていたいのか。

 

 

 

AKko