リバーサルフィルムが好きです

PENTAX-KX(メイン)、Flexaret VI。最近ネガフィルム多め。ポジフィルム使ったことないけど現物見たい人にフィルム1コマ送ります問い合わせフォームからご連絡ください。 Instagram:akko0920jp

【写真以外の話】自己肯定感を取り戻したこと(私の場合)

はてなで昨日くらいに見たこの記事に完全に同意。
なぜなら私も「元 自己肯定感がない人」だから。


gattolibero.hatenablog.com

私は、兄弟差別をして育てられました。端的に言えば「妹は泣いたら許してもらえる、私はいつも代わりに我慢させられる」という事でした。こじらせた結果、中学校に上がるくらいには自分で自覚できるほど「自己肯定感」がない感じに。

で、こちらの記事のブコメ?(っていうの?コメントのこと)で、だから自分にOKを出すのができないのに!とあったので、そりゃそうだわな、と思ったのです。

 

私自身は、20年ほど失ってた何かを取り戻したくて、もがきました。もがいた結果、多分ここ2,3年で、結構取り戻したと思います。


以下はあくまでも私の場合、です。

 

本人の性格とか、環境とか、いろいろな要素があります。なので、どういう方法を実践したら自己肯定感マシになるよという確実な方法はきっと無いのだと思います。そこまで考えていると何も書けないので、開き直って、私の場合だけ書き連ねます。目にした誰かが、一人でも、少しでも、ラクになれば。

 

■私の意見
・自己肯定感は取り戻せると思う。ただしある程度の時間はかかる。
・私は「他人に褒められる」体験は必要だと考えている。
・落ち込むことが多い事実を「全部自分のせい」と思わなくていい。最終的には自分で解決する必要があるけれど、途中段階では育った環境のせいにしていいと思う。紙に恨みつらみを書いてビリビリに破るかグッシャグシャに丸めて捨てる。燃やす場合は火に注意。仮に親に「いつまでも根にもつな」とか言われたらその日の記憶はシャットダウン、全無視で(私はそう言われた)。
・今すぐ目指す自分にならなくて大丈夫。人生、そこそこの時間があるので、何年か経って思い出して「あ、抜けたな」でもいいはず。
・抜けた時には、悩んでた時間が「心底勿体無かった」と感じる可能性が大なので、それを心しておく。元気になったらやりたいこと列挙してもいいかも。
・自己肯定感は「取り戻さなくてはならない(義務)」ものではない。でも、取り戻すとお得。取り戻すと楽しい。だから取り戻さないのは本当に勿体ない。きっと世界の色が変わる。

 

■方法
・一緒に居てしんどくなる人との関係は断絶。キラキラしすぎて見ててコンプレックスになる人も一時的に断絶。SNSもフォロー外す。昔の友達であっても。元気になったらまた会えばいい。何年か間が空いても会えるのが「友達」のいい所。

・自分のことを絶対に見下さない友人と会う。高校の時の部活の友達と、大学のサークル仲間には本当に助けられました。

・生きにくい現場とは別に、自分を知る人が一人もいない団体に属する(★)。習い事、ボランティア、何かのオフ会。習い事がいいですかね。身にもなるし。いろんな世代が居るとなお良。年を重ねた人や子供がいる人は、人生をいろいろ知っているせいか他人に対して寛容だと思う。私は運よく、変人ばかりの写真サークル的なものを発見。 

・自分の得意なことをやる。無い人は好きなことを探す。それを続ける。途中で変わってもいい。少しお金がかかっても自己投資と思ってやった。私は自炊とかお菓子とか。

・自分が苦しく無ければ、自己肯定感がある友達と過ごす時間を長くする。自己肯定感がある人は人を褒めるのが上手いと思う。しかも、厭味ったらしくなく褒める。

・何かで誰かに褒められたら「いえいえそんな」と言いたくなる口を押さえて、芸人にでもなったつもりで、冗談でもいいから【←ものすごくだいじ】
 「ありがとーございまーす♡」「褒めても何もでませんよー(笑)」(女子)
 「だから得意て言うてるやん」「今ごろ気づいた?遅いわ!笑」(男子)

などと言ってとりあえず乗っかってみる(★)。これはもうやるしかない。素直に誉められてる風を装う。演じる。照れるのは最初だけ。すぐ慣れる。私の場合は効果テキメンでした。



個人的に一番効果があったのは★の二つで、自分のことを良く知る人が居ない世界を会社とは別に作り、そこでちょっと人に褒めてもらった時に「乗っかり続け」ました。言葉は、ことだま。乗っかり続けることで、こんな私でも人に褒められるようなことも少しはできるのだ、と本心で思えるようになりました。


人に認めてもらうことに慣れてきて、気づいた事。仲良しの人も尊敬する先輩も「毎日全力で頑張ってる訳じゃない」し「あれもこれもできる訳じゃない」し、むしろ嫌な所だってある。でもだからって、「劣等」とか「ダメ」とか「馬鹿」とかじゃない。


じゃー私も、褒めてもらえる得意なこともあるけど、できない事があってもいいや。できないことがあっても「劣等」とか「ダメ」とか「馬鹿にされる」とかじゃない。できることの方に着目してるほうが気分いいし楽しい。

こういう考え方を自分にも適用していい、と思えるには「とりあえず乗っかる」ようになってから結構時間がかかりました。

 

人には誰でも、得意不得意があってだな。という話は耳にタコで、もちろん理屈としては解っていました。だけどどうしても「自分にだけは」適用できなかった。世間はそうかもしれないけど、私はまだまだ、こんな自分じゃダメだ、あの人くらい仕事ができなければ、あの人くらい人に優しくできなければ、あの人くらいうまく人間関係を構築できなければ。(ってそれ、周囲の人のいいとこどりではないか。)

当然そんな風になれる訳はなく、高すぎる目標に挫折し、更に自信を無くす。自己肯定感を失う最悪ループ。

かなえられないほどの高すぎる理想を掲げ、私は何を目指していたのか。ウェブサイトや本でアレコレ探った結果、

「あれもこれもできるようになって、おかあさんに「すごいね」って言われたかった。もっと私のほうを見てほしかったのではないか」

そこまで自覚したときにやっと、いろんなものが落ちました。
(いわゆるアダルトチルドレン


今ものすごくラクです。いろいろこじらせたので残念ながら未だ独身だけど、なんとか仕事もしていられ、趣味のカメラを楽しめる。思考回路は「**が出来ないなんて情けない」「みんなはできるのに。。。」から「**が出来るようになりたい。ああしてみよう、こうしてみよう」へと大転換。

 

大転換ですほんとに。5年前、人生の底に居た自分に伝えてやりたい。そう遠くない未来に、自分で何か吹っ切れて、考え方が180度くらい変わる日が来ることを。

でも過去には戻れないから、、こんなところにライフログとして残すことで、誰か一人の一瞬にでも、私のつたない体験が役に立ってくれたらいいな、と思います。

 

 

長々と失礼しました。今から写真のこと書きます!